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2013/07/04 [16:36:48] (Thu)
最高だ!
google readerと遜色ない。
2013/06/23 [10:55:08] (Sun)
鳥人間コンテストで墜落後、低髄(脳脊髄液減少症)になった方がいるという。
まだ若い女性とのことだが、きっと良くなると思って養生してほしい。

私も寝たきりに近い状態に何度かなったけどこうして毎週テニスできるから幸せなものだ。

篠永医師がまたテレビに出てがんばっていらっしゃる。
私にも何かできることはないかと思ったがさほどたいしたことができるわけでもないが、
少なくとも、しんどい時期があったけど、社会復帰して元気にやっているという記録を
残して目に触れる機会がある場所に記載しておく。

個人的にはじっくり休むのと、トレーニングというかストレッチというか、
体を動かしていってリズムを整えて自然回復機能を高めることが効果的だったのではないか
とおもえる。
プロテインを飲んで歩いてストレッチに筋トレをした。めまいがしても日の光を少しずつ浴びた。

動くと傷が広がるという方もいるし、安静が何よりとのことだけど、
精神まで参ったり、基礎的な肉体の力がなくなっては元も子もないという考えだった。
ブラッドパッチ後にそういうことをやっていて、時には具合の悪くなることもあったが
結局そういうことが良かったのではないかと思っている。
2013/04/29 [11:17:02] (Mon)
単に、子供向けの玩具ではなく、大人も十分に堪能できる新しいエンターテインメントの道具になるとされていた。

はっきりと、「これはマルチメディア機です」というところもあった。 たとえばMの3D0。
当初はゲ-ム機として展開するものの、本来はマルチメディア機器であると言っていた。 NECも、マルチメディア的な展開を展望していた。
それが、当時の普通の行き方であった。 ところがプレイステーションは、まったく違った。
「これはマルチメディア機ではない」と明確に断言していたのだ。 「これは、マルチメディア・プレーヤーではありません。
ゲーム機なんです。 マルチメディアの一つとしてゲ-ムをやるのではなく、ゲームだけをやるんです」と、T副社長(当時の肩書き)は断言していた。
これぞプレイステーションの本質である。 つまりあれもこれもやるのではなく、目的を一点に絞る。
だから、ゲーム一筋なのである。 このやり口は、3DOと比較してみると分かりゃすい。
3DOは「ゲームをはじめ、趣味やスポーツ、教養、教育、出版、映画など幅広いソフトウエアが楽しめます」(報道資料)というものだった。
明らかに、マルチメディアとしての水平展開を狙っているのかと思いきや、現実のビジネスではゲ-ムソフトに重点が置かれていた。

んな風に態度がはっきりとしないことが、低迷(初年度一〇〇万台出荷の予定が、実際には、囲内は二〇万台程度)し、最終的に撤退を余儀なくされた一因であった。
それに対し、マルチメディアではなくゲーム機であると自らを規定し、ユーザーと業界の信頼を勝ち取ろうというプレイステーションのやり方は実に戦略的であった。

この種のマシンは、あれこれいっても結局、使用するユーザーはゲ-ムの愛好者であり、彼らのニ-ズに合うかどうかが、勝敗を決める。
ゲ-ム機は別の見方をすると高性能コンピュータであり、その情報処理能力を使えば、さまざまなマルチメディア的な展開が可能と安易に考えがちだが、プレイ
ステーションはその道を行かなかった。
「何の表札を掲げてやるのかが大切なんです」とTは、言う。
「我々がコンピュータエンタテインメントと自らの社名をつけたのは、それだけの拡がりを展望したからです。
その中心としてのゲ-ムは最も重要なターゲットでした。 だから我々は、絶対にマルチメディアという言葉を使わなかった。
そのイメージからくる胡散臭きと暖昧きが嫌いでした」。 何でもできるのだが、実際には一つのことしかやらない。
しかし、狙った分野はとことん追求し、徹底的に強くする。 目的を一点に絞った美学がプレイステーションの本質である。
そう、プレイステーションの成功の重要な要因の一つが「ゲ-ム機としての性能を徹底的に強化したこと」だ。 その鋭いほどに美しい秘密とは何か。
システムGから移植したアーキテクチャ-の美しさ。
プレイステーションの原点は、Kが一九八四年に初めて見て驚嘆したソニー情報処理研究所(当時、厚木市)の三次元コンピュータグラフィックス技術「システムG」にある。

システムGの存在と、Kの存在が八四年の時点で、厚木にクロスしたことは、まさに奇跡といっていい。
Kが「これでファミコンができたらどんなに凄いだろう」と思わなかったら、プレイステーションの存在はない。
プレイステーションはシステムGのゲ-ム機へのアプリケーションである。
プレイステーションの強さとは、つまりシステムGの強さであり、プレイステーションのコンセプトは、システムGのコンセプトそのものであった。
システムGの何が凄いのか。 「リアルタイムでテクスチャ・マッピングができるのは、我々が見る限り、当時、世界で唯一、システムGだけでした。
他社のシステムでも計算に時聞をかければ可能なのですが、リアルタイムでできるのは、ほかになかった」(大場)。
なぜ、そんなものが当時のソニーにあったのだろうか。
「目的がしっかりとしていたからできたんです」と述懐するのは、システムGを開発した大場章男(現・SCEI研究開発本部アーキテクチャ研究部次長)だ。
Kはその後、プレイステーションの立ち上げのために、デジタル技術者をソニーの各研究所から十数人、中の一人であった。
「放送機器の特殊効果用として開発したのがシステムGなんです。
汎用ではなく、一つの目的に向けた専用機だったために、他のことは考える必要がないから、性能を極限まで上げられました」(大場)。
システムGの速さの秘密は一O個のプロセッサを並列で動かしたことだが、そのプロセッサも実は専用品だった。
それまで理論的には並列処理の実現性がいわれていたが、実際に成功例はどこにもなかった。
特にグラフィックスのアプリケーションでの難しさが格別だったからだ。
ところが、大場たちは、汎用プロセッサを使わず専用のプロセッサで、即時描画をやってのけた。
汎用プロセッサなら、その目的以外の無駄なこともしなければならないが、専用品ならその目的だけに特化していけるのだ。
速さに特化した専用のプロセッサを並列処理で回すのだから、リアルタイムでテクスチャ・マッピングされた恐竜が、軽々と動いたのである。

目的がはっきりしていたのは、放送機器の設計部隊が同じ敷地内にいて、接触も頻繁で、彼らの具体的なニ-ズをつかんでいたからだ。
テレビ画面上で顔の合成や変形に使うという目的が明確だった。
それは「無駄な資源は使わずに、シンプルに行くこと。 目的に鮮明に合致したアルゴリズムの美しさ」(K)ということである。
当時、なぜシステムGが作れたかについては、もう一つの意見がある。
「我々が素人だったからです」と言うのは、大場とともにシステムGを開発し、岡正昭(現・SCEI研究開発本部アーキテクチャ研究部部長)だ。
スカウトしてきたが、大場はそのSCEIに参画した。 「私は電気専攻で、大場は生物工学が専攻でした。
ソフトウエアについては、まったく素人なんです。 だから、当時のコンピュータの常識にとらわれずに、自由に設計できました。

周りからそんなの無理だと言われでも、ガン、ガンやりました。
私でもAND、ORの論理素子、カウンター、四ピット算術演算器を四つ揃えれば、ひととおりの掛け算はできるコンピュータが作れました。
何でも自分たちでやりましたよ」。 でき合いのシステムをそのまま使うのではなく、基礎から自分たちで組み立ててみる。
原理を知っているから、強い。 原理から発想し、目的がしっかりとしているから、でき上がったものは、限りなく簡潔なものになる。
そうであるなら、それをベ-スにした展開も容易だ。
すでに八五年の時点で、原理設計だけでなく、アプリケーションまで見せていたというのは、そんなコンセプトの具現化であった。
システムGはプレイステーションの原点である。
プレイステーションは三次元CGの基本技術にシステムGを抱くだけでなく、システムGの思考体系、開発姿勢、そして独自技術としてのコンセプトも、しっかりと受け継いでいる。
あれもこれものマルチメディアではなく、ゲームだけに焦点を合わせたことは、まさに、システムG的な一点集中主義の一例であろう。
システムGの知恵も導入し、Kはプレイステーションのアーキテクチャ(基本的なソフトウエアの構成)を構築していった。


引用元:不明。どこかで見つけた記事からの記録。
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