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2013/04/29 [11:17:02] (Mon)
単に、子供向けの玩具ではなく、大人も十分に堪能できる新しいエンターテインメントの道具になるとされていた。

はっきりと、「これはマルチメディア機です」というところもあった。 たとえばMの3D0。
当初はゲ-ム機として展開するものの、本来はマルチメディア機器であると言っていた。 NECも、マルチメディア的な展開を展望していた。
それが、当時の普通の行き方であった。 ところがプレイステーションは、まったく違った。
「これはマルチメディア機ではない」と明確に断言していたのだ。 「これは、マルチメディア・プレーヤーではありません。
ゲーム機なんです。 マルチメディアの一つとしてゲ-ムをやるのではなく、ゲームだけをやるんです」と、T副社長(当時の肩書き)は断言していた。
これぞプレイステーションの本質である。 つまりあれもこれもやるのではなく、目的を一点に絞る。
だから、ゲーム一筋なのである。 このやり口は、3DOと比較してみると分かりゃすい。
3DOは「ゲームをはじめ、趣味やスポーツ、教養、教育、出版、映画など幅広いソフトウエアが楽しめます」(報道資料)というものだった。
明らかに、マルチメディアとしての水平展開を狙っているのかと思いきや、現実のビジネスではゲ-ムソフトに重点が置かれていた。

んな風に態度がはっきりとしないことが、低迷(初年度一〇〇万台出荷の予定が、実際には、囲内は二〇万台程度)し、最終的に撤退を余儀なくされた一因であった。
それに対し、マルチメディアではなくゲーム機であると自らを規定し、ユーザーと業界の信頼を勝ち取ろうというプレイステーションのやり方は実に戦略的であった。

この種のマシンは、あれこれいっても結局、使用するユーザーはゲ-ムの愛好者であり、彼らのニ-ズに合うかどうかが、勝敗を決める。
ゲ-ム機は別の見方をすると高性能コンピュータであり、その情報処理能力を使えば、さまざまなマルチメディア的な展開が可能と安易に考えがちだが、プレイ
ステーションはその道を行かなかった。
「何の表札を掲げてやるのかが大切なんです」とTは、言う。
「我々がコンピュータエンタテインメントと自らの社名をつけたのは、それだけの拡がりを展望したからです。
その中心としてのゲ-ムは最も重要なターゲットでした。 だから我々は、絶対にマルチメディアという言葉を使わなかった。
そのイメージからくる胡散臭きと暖昧きが嫌いでした」。 何でもできるのだが、実際には一つのことしかやらない。
しかし、狙った分野はとことん追求し、徹底的に強くする。 目的を一点に絞った美学がプレイステーションの本質である。
そう、プレイステーションの成功の重要な要因の一つが「ゲ-ム機としての性能を徹底的に強化したこと」だ。 その鋭いほどに美しい秘密とは何か。
システムGから移植したアーキテクチャ-の美しさ。
プレイステーションの原点は、Kが一九八四年に初めて見て驚嘆したソニー情報処理研究所(当時、厚木市)の三次元コンピュータグラフィックス技術「システムG」にある。

システムGの存在と、Kの存在が八四年の時点で、厚木にクロスしたことは、まさに奇跡といっていい。
Kが「これでファミコンができたらどんなに凄いだろう」と思わなかったら、プレイステーションの存在はない。
プレイステーションはシステムGのゲ-ム機へのアプリケーションである。
プレイステーションの強さとは、つまりシステムGの強さであり、プレイステーションのコンセプトは、システムGのコンセプトそのものであった。
システムGの何が凄いのか。 「リアルタイムでテクスチャ・マッピングができるのは、我々が見る限り、当時、世界で唯一、システムGだけでした。
他社のシステムでも計算に時聞をかければ可能なのですが、リアルタイムでできるのは、ほかになかった」(大場)。
なぜ、そんなものが当時のソニーにあったのだろうか。
「目的がしっかりとしていたからできたんです」と述懐するのは、システムGを開発した大場章男(現・SCEI研究開発本部アーキテクチャ研究部次長)だ。
Kはその後、プレイステーションの立ち上げのために、デジタル技術者をソニーの各研究所から十数人、中の一人であった。
「放送機器の特殊効果用として開発したのがシステムGなんです。
汎用ではなく、一つの目的に向けた専用機だったために、他のことは考える必要がないから、性能を極限まで上げられました」(大場)。
システムGの速さの秘密は一O個のプロセッサを並列で動かしたことだが、そのプロセッサも実は専用品だった。
それまで理論的には並列処理の実現性がいわれていたが、実際に成功例はどこにもなかった。
特にグラフィックスのアプリケーションでの難しさが格別だったからだ。
ところが、大場たちは、汎用プロセッサを使わず専用のプロセッサで、即時描画をやってのけた。
汎用プロセッサなら、その目的以外の無駄なこともしなければならないが、専用品ならその目的だけに特化していけるのだ。
速さに特化した専用のプロセッサを並列処理で回すのだから、リアルタイムでテクスチャ・マッピングされた恐竜が、軽々と動いたのである。

目的がはっきりしていたのは、放送機器の設計部隊が同じ敷地内にいて、接触も頻繁で、彼らの具体的なニ-ズをつかんでいたからだ。
テレビ画面上で顔の合成や変形に使うという目的が明確だった。
それは「無駄な資源は使わずに、シンプルに行くこと。 目的に鮮明に合致したアルゴリズムの美しさ」(K)ということである。
当時、なぜシステムGが作れたかについては、もう一つの意見がある。
「我々が素人だったからです」と言うのは、大場とともにシステムGを開発し、岡正昭(現・SCEI研究開発本部アーキテクチャ研究部部長)だ。
スカウトしてきたが、大場はそのSCEIに参画した。 「私は電気専攻で、大場は生物工学が専攻でした。
ソフトウエアについては、まったく素人なんです。 だから、当時のコンピュータの常識にとらわれずに、自由に設計できました。

周りからそんなの無理だと言われでも、ガン、ガンやりました。
私でもAND、ORの論理素子、カウンター、四ピット算術演算器を四つ揃えれば、ひととおりの掛け算はできるコンピュータが作れました。
何でも自分たちでやりましたよ」。 でき合いのシステムをそのまま使うのではなく、基礎から自分たちで組み立ててみる。
原理を知っているから、強い。 原理から発想し、目的がしっかりとしているから、でき上がったものは、限りなく簡潔なものになる。
そうであるなら、それをベ-スにした展開も容易だ。
すでに八五年の時点で、原理設計だけでなく、アプリケーションまで見せていたというのは、そんなコンセプトの具現化であった。
システムGはプレイステーションの原点である。
プレイステーションは三次元CGの基本技術にシステムGを抱くだけでなく、システムGの思考体系、開発姿勢、そして独自技術としてのコンセプトも、しっかりと受け継いでいる。
あれもこれものマルチメディアではなく、ゲームだけに焦点を合わせたことは、まさに、システムG的な一点集中主義の一例であろう。
システムGの知恵も導入し、Kはプレイステーションのアーキテクチャ(基本的なソフトウエアの構成)を構築していった。


引用元:不明。どこかで見つけた記事からの記録。
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